第1回「100mの訳」
僕、皆にこうやって改まって100mへのこだわりを話したことないし、いつもメディアを
通じて伝えてる感じなんで、今日はいい機会だしなぜ100mにこだわってるのかを今日は話そう。
2年前アテネオリンピックで200mをやめて、100mにしたわけね。
「あえて、厳しい世界へ・・」なんてかっこいい取り上げ方をされてたみたいだけど。
今、日本のスポーツ界っていろんな部門で盛り上がってきてて、すごくスポーツをやっている
俺らからしてみるととても喜ばしい時代だと思う。でも、その裏にはどうしても世界との体格差、
身体能力の差っていうものがどの競技スポーツにもまだあると思う。
陸上なんかは特にそうだと思うけど、ものすごいそれが露呈しちゃうスポーツなんだよね。
10年近くもやってれば嫌でもわかる。それなのになんで100mみたいな種目にしつこく
こだわってるかってのが今回のテーマ。
理由は1つだけあるのね、それは「逃げたくなくなった」って事かな。何かよく説明はつかないけど、
パリの世界選手権200mで銅メダルとってすぐ100mの決勝を見たのね。
その時、何ともいえない気持ちになった訳。「俺はここで走れんのかな?」っていう
ちょっとした恐怖感。好奇心なんていう生易しいものではなくて、ちょっと後ろめたい感じのね…
その頃からかな、本物のスプリンターとしての実力?本当に日本人としての
実力ってどのあたりあるのかな?俺って本当に世界で3番目に足速いのかな?って
その試合中自問自答しまくり。でも考えた末は、ただ怖かっただけ。負けるってわかってる
から怖いだけ。もちろん俺200mでもまだ十分とはいえない位置だけど、100mをやるのがその時
怖かっただけ・・。
それから、100mや200mに対する考え方が変わったような気がするんだよね。
わかりやすく言うと「陸上競技者=200m」「人間・末續慎吾=100m」みたいな・・わかりにくいね。
陸上競技者としての末續君は、もうプロみたいなものだから世の中の期待と求められている
仕事をしなきゃいけない。でも、陸上競技者である前に末續君は人間なわけ。
だからこのまま100mを避けて通るような気持ちで競技をやっている末續君ではいたくないのね。
どうなるかはもうわかっていて、ボコボコされても何を言われてもいいから逃げたくねーっ
て思うのが、人間.末續慎吾君。だから100mは種目としてこだわっているのではなくて、
怖がってる自分から逃げないためにやってると思う。まあいっつもボコボコにされてるけどね。
日本人が挑戦するとか、アジア人が到達できないとか人間・末續君はそれも認めたくないし、
同じ人間の価値とか限界を同じ人間が決めては決していけないと思う。だから100mはやる。
先伸ばしになってもいいからやる。だからその前に今は200mでいけるところまで行きたいね。
まあ、要はわがままなのかな?男の子に生まれたのからなのかな?
とにかく目の前に打ち当たったものに対して逃げてるって思うことの方がもっとヤダ
今回は勝手にメッセージって感じの内容だったんだけど、どんなことでも結局自分と
向き合ってから初めて自分って作られると思うからね。偉そうな事いってごめんちゃいね。
また、何か思いついたり感じたら書きますね
ちゃお











